高知地方裁判所 昭和45年(ワ)628号 判決 1972年10月13日
原告 和田きよ子
被告 遠藤辰造 〔一部仮名〕
主文
被告は原告に対し、金八、九一四、三四五円および内金八、七六四、三四五円に対する昭和四五年一二月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は、被告の負担とする。
この判決は、仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文第一、二項同旨の判決および仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
原告の請求を棄却する。
第二、当事者の主張
一 請求原因
1 訴外和田義延(以下訴外義延という。)は、昭和四五年七月二四日、訴外遠藤俊夫(以下訴外俊夫という。)にこぶし大の石二個をもつてその頭部を乱打され、その結果、頭蓋骨々折、脳挫創等の傷書により即時死亡した。
2 原告は、訴外義延の妻であるが、夫の死亡により、次のような損害賠償請求権を取得した。
(一) 原告は、(1) 葬儀費用として金一三五、八二〇円、(2) 死後処置料として金五、〇〇〇円、診断書料として金二〇〇円を支払つた。
(二) 逸失利益金五、〇七三、三二五円
訴外義延は、死亡当時満四九才で、訴外高新企業株式会社に守衛として勤務し、一ケ月平均金八一、二三三円の給料を得ていた。そこで、訴外義延の稼働年数を六三才までの一四年間として、ホフマン式計算法により同人の逸失利益を求めると頭書の金額となる。
(三) 慰謝料
訴外義延は、安定した職場と円満な家庭をもちながら、まだ四九才の年令で無残な死亡を遂げ、原告も、思いもかけぬような出来事により、突然、生涯の伴侶を失い、大きな精神的損害を蒙つたが、これを賠償すべき額は、訴外義延につき金一、五〇〇、〇〇〇円、原告につき二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
訴外義延の右逸失利益金五、〇七三、三二五円および慰謝料金一、五〇〇、〇〇〇円につき、原告は、亡夫の弟二人と共にこれを相続したが、後に他の相続人らからその相続分全部の贈与を受けた。
(四) 弁護士費用金二〇〇、〇〇〇円
原告は、昭和四五年一一月一二日、高知弁護士会所属弁護士梶原守光、土田嘉平、山下道子に本件訴訟を委任し、その着手金として金五〇、〇〇〇円支払い、成功報酬として金一五〇、〇〇〇円支払うことを約した。
3 ところで、訴外俊夫の前記凶行は、精神分裂病の発作による心神喪失の時の出来事であるが、訴外俊夫は、昭和四〇年一一月以降精神分裂病のため三回入退院をくり返し、右凶行当時も通院加療中の身であつて、就職もなし得ず、父親である被告がこれを扶養し、保護者として監督すべき地位にあつた。
4 よつて、原告は被告に対し、右損害賠償額合計金八、九一四、三四五円および内金八、七六四、三四五円に対する弁済期後である昭和四五年一二月二〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。
二 請求原因に対する答弁
請求原因第一項の事実のうち、訴外義延の死亡の事実を認め、その余は不知。
同第二項の事実は、否認する。
同第三項の事実のうち、原告主張の入退院および通院、扶養の事実を認め、その余を否認する。
三 抗弁
仮に、訴外俊夫が責任無能力者で、被告がその法定の監督義務者だとしても、被告は、その義務を怠つていなかつた。
すなわち、被告は、医師の指示に従い、訴外俊夫を同仁病院精神科に、昭和四〇年一一月入院、翌四一年八月退院、昭和四二年三月入院、同年一〇月退院、昭和四三年七月入院、翌四四年一〇月退院、右退院後も月一、二回通院させ、看護に専念してきた。ことに、右最後の退院については、医師の、就職も十分可能であり、その準備をせよ、とのすすめによるもので、被告も就職の努力を払つていた。なお、本件の事件発生前間もない昭和四五年六月三〇日にも医師の診療を受けたが、何らの指示もなされず、安心していたもので、被告としては、右のとおり、能う限りの監督を尽してきたのである。したがつて、被告に対し、右の程度以上のことが要求されるとすれば、それは、訴外俊夫を座敷牢に閉じ込めておくか、常時尾行して監視すること以外にはありえないのであるが、そもそも医師の許可を得て退院している者に対し、そのようなことまでするのは不可能もしくは相当ではなく、法の要求するところではないというべきである。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実のうち、被告主張の入退院および通院の事実を認め、その余を否認する。
第三証拠<省略>
理由
一 訴外義延が死亡したことは当事者間に争いなく、成立に争いない甲第一号証、証人貞弘清子、同沢田美照の各証言によると、昭和四五年七月二四日午前八時頃、訴外俊夫は、訴外貞弘清子を理由もなく殴打しているのを訴外義延に制止されたのに激昂し、その頭部等を石をもつて乱打して頭蓋骨々折、脳挫創等の傷害を与え、よつてその場で右死亡の結果を生ぜしめたことを認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
二 原告本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲第三ないし第五号証によると、原告は、訴外義延の葬儀費用として金一三五、八二〇円、死後処置料として金五、〇〇〇円、診断書料として金二〇〇円を各支払つたことを認めることができ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
三 証人沢田美照の証言により真正に成立したと認める甲第七、第八号証、成立に争いない同第九号証によると、訴外義延は、死亡当時満四九才の直前であり、もし勤続すれば満六三才まで、少くとも一ケ月平均金八一、二三三円の給料を得て、なおあと一四年間勤務先であつた訴外高新企業株式会社で守衛として稼働できることが認められ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。そして、右平均賃金から生活費として五割控除し、複式ホフマン式計算法により右稼働期間における逸失利益を求めると、それは金五、〇七三、三二五円を下らない。
四 証人沢田美照の証言、原告本人尋問の結果によると、訴外義延は、訴外高新企業株式会社に守衛としてつとめ、気に入つた職場と相当の賃金を得、妻である原告と夫婦仲睦まじく暮していたところ、前記の如く、まだ四九才の年令で格別の理由もなく無残な死を遂げ、原告も、長年連れ添つた夫を全く思いもかけぬような出来事により突然失い、老後を養つてもらうべき子もなく、当時四五才の年令で一人取り残され、共に多大の精神的損害を蒙つたことを認めることができ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。右の事実によると、各精神的損害を賠償すべき額は、訴外義延につき金一、五〇〇、〇〇〇円、原告につき金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。
五 証人沢田美照の証言および同証言により真正に成立したと認める甲第一一、第一三号証によると、右逸失利益金五、〇七三、三二五円および訴外義延の慰謝料金一、五〇〇、〇〇〇円につき、原告は、亡夫の弟二人と共にこれを相続したが、後に他の相続人らからその相続分全部の贈与を受けたことを認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
六 原告本人尋問の結果によると、原告は、高知弁護士会所属弁護士梶原守光、土田嘉平、山下道子に本件訴訟を委任し、その着手金として金五〇、〇〇〇円支払い、成功報酬として金一五〇、〇〇〇円支払うことを約したことを認めることができ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
七 訴外俊夫が昭和四〇年一一月以降精神分裂病のため三回入退院をくり返し、右凶行当時も通院加療中の身であつて就職もなし得ず、父親である被告がこれを扶養していたことは当事者間に争いなく、証人貞弘清子、同中沢誠一郎、同池田博男、同遠藤忠雄の各証言、被告本人尋問の結果を総合すると、訴外俊夫の前記凶行は精神分裂病の発作によるものであることを認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。右の各事実によると、訴外俊夫の右凶行は、心神喪失の間に行なわれたものであり、その当時、被告は、訴外俊夫を監督すべき法定の義務者と同一視すべき地位にあつたというべきである。
八 そこで、被告主張の抗弁について判断する。
成立に争いない甲第一号証、証人貞弘清子、同沢田美照、同中沢誠一郎、同池田博男の各証言、被告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
1 訴外俊夫は、昭和二一年一〇月二日安芸郡芸西村に生れ、その後順調に成育し、おとなしい性格で格別変つた点は認められなかつたが、東京で就職中、昭和四〇年五月頃から精神異常を来し、性格が荒つぽくなり、飲酒、浪費などで生活も荒れ、同年一一月父親である被告に連れられて帰郷し、精神分裂病で同仁病院精神科に入院し、翌四一年八月一一日に退院したが、その間特に他人に対し暴力を振るうようなことはなかつた。その後、薬品による自殺や首吊り自殺を続けざまに企て、昭和四二年三月三日に入院し、同年一〇月一六日に退院し、その後経過が良好で就職したところ、勤務中に発病して、上役や同僚を殴打し、その翌日は特別の理由もないのに家出をして高松市に赴き、被告に連れ帰られてからも興奮して両親を殴打するなど凶暴的となり、昭和四三年七月六日に入院し、翌四四年一〇月一三日に退院したが、右入院中にも凶暴的となり、看護人や診察に当つた医師に殴りかかつて相当に荒れたことがあつた。右退院後も、毎月二回程通院して治療を受け、その最後の昭和四五年六月三〇日には寛解の状態にあつた。
2 右三回の退院は、精神病の性質上、いわゆる完治の結果ではなく、発作がおさまり、一応病気が表面に現われなくなつたという、精神医学にいうところの社会的寛解と認められた程度に過ぎず、なお再発の可能性を秘めており、殊に訴外俊夫の精神病は、緊張型ないし幻覚妄想型に属し、幻覚妄想を生じては、とかく物事を自己に妨害的に考え、また、病気の起り方が早く、主に不眠などその前兆が見えはじめてから、普通三日もしくはそれより短い期間で極度の精神的興奮状態に達し、凶暴的になる性質のものであつた。
3 被告は、訴外俊夫の最後の退院の際にも、医師から、訴外俊夫に異常が認められれば直ちに入院させるように、との注意を受け、また、これまでの経過から見て訴外俊夫の日常に気を配り、精神病の再発については気をつけていた。しかしながら、被告は、本件凶行の日の前日である昭和四五年七月二三日の朝、訴外俊夫から、不眠を訴えられたが、暑い折のことでもあるとしてさして気にもとめず、その後、同訴外人から、高知へ遊びに行きたい旨聞き、そうすれば気も晴れてよかろうと軽く考え、小遣銭として金三、〇〇〇円を渡し、早く帰つて来るように、との注意を与えて送り出したところ、その夜帰宅しなかつたので、心当りの訴外俊夫の友人宅に聞き合わせ、さらに本件凶行の当日である翌二四日午前七時頃にも同様のことをくり返したが見当らなかつたので、自殺を懸念して警察にその旨の連絡をとり、警察より、同日午前九時頃までにはパトロールがすむから、それまでに変つたことがなければ大事はないであろう、との返答を得、あとは成り行きにまかせた。
ところが、訴外俊夫は、その日の午前八時頃、安芸市穴内新城海岸で丸裸になつて釣をしていて、近くにやつて来た訴外貞弘清子を理由もなくいきなり殴打し、これを制止した訴外義延の頭部、顔面等を小石を手にして滅多打ちし、頭蓋骨々折、脳挫創等の傷害を与えて、その場で死亡するに至らしめた。
右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
右の事実によると、訴外俊夫は、社会的寛解の状態で退院し、いつまた発病するかも知れない危険を包蔵し、一旦発病した場合には、あるいは凶暴な行為に出るおそれがあるということは、病気の性質、従来の発病の経過に照らし容易に予測することができ、しかも本件凶行の日の前日の朝には発病の前兆である不眠を訴え、かつ、僅か金三、〇〇〇円しか持たないで出かけたまま帰宅しなかつたのであるから、被告としては、単に訴外俊夫の友人宅に聞き合わせたり、同訴外人の自殺をおそれてその旨警察に連絡をとるに止まらず、当然、発病のおそれがあること、および、その際凶暴になるおそれがあることにも思慮をめぐらせ、これを前提とする警察への依頼、自ら捜索に当ることなど、さらに積極的に出て、無残な結果の発生を未然に防止することにつとめるべきであつたことを認めることができる。そして、このような事情に照らして考えると、本件全証拠によるも、被告が監督義務を怠つていないとの被告主張の事実を認めるに足りず、被告主張の抗弁は理由がない。
九 以上のような次第であるから、被告は原告に対し、金八、九一四、三四五円および内金八、七六四、三四五円に対する弁済期の後である昭和四五年一二月二〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務のあることは明らかである。
一〇 よつて、原告の被告に対する本訴請求は、すべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 上野利隆)